推し

る・ひまわり新作公演「僕のド・るーク」を観に行きました!感想

3月9日、舞台『僕のド・るーク』を観てきました!初めて多和田くんの舞台を観に行た・・・。テーマは「ともだち」(「ドルーク」はロシア語で「ともだち」の意味)。さまざまな友達の形をオムニバス形式で表現した会話劇。多和田くんは3つのお話の中の「サリエリとモーツァルト」のモーツァルト役、「こころ」の私役で出演。一部Wキャストでしたが、わたしが観たのは井澤巧麻さん/鎌苅健太さんの回でした。

【公演スケジュール】
2019年3月7日(木)~10日(日)
 
【劇場】
オルタナティブシアター
 

この舞台はシリーズなんだねえ。第1弾は2016年2月に上演された「ライバル」がテーマの『僕のリヴァ・る』。

「サリエリとモーツァルト」

『アマデウス』がベースのお話。この『アマデウス』はサリエリが天才のモーツァルトに嫉妬し破滅させるという物語だけど、この舞台ではそうではなくて、この2人は最終的には良き理解者の関係になっていたのでは?という内容。多和田くんは天才音楽家のモーツァルトを演じる。

「サリエリとモーツァルト」は前半はコメディ要素が多め。テンション高めのたわモーツァルトを堪能できた。ザ・貴族の音楽家な衣装だったけど、多和田くんが大袈裟に動く度に衣装の裾がヒラリと舞うのが素敵だった。所作が好きなんだよ。あと手足の長さ。自身の手足の長さの魅せ方を知っておる。動きがキレッキレ。直接観て改めて思ったけど、この子も股下2m族だわ(他には東啓介さんや山本涼介くんなど)。

後半はモーツァルトの晩年、天才的な音楽の才能を持っていたのに、口が災いしたり天才がゆえに理解されなかったりで逆に非難され評価されなかったという話。実際にモーツァルトは破天荒な人間だったらしく(ウィキペディアの知識でごめんなさい)、たわモーツァルトも相当な暴言を吐きまくっていた。多和田くんの口から罵詈雑言が飛び出したもんだから、逆に新鮮・・・。

たわモーツァルトが取り乱し怒り狂うさまは美しかったなあと思う。多和田くんが目玉ひんむいて怒るのを見てますます好きになった(?)。普通に生きてたらこんな目玉をひんむいて怒ることってないよなあと思って。現実世界で彼を怒らせたいわけじゃなくて、なんというか、非現実的なレベルで怒り狂うさまを見せてくれて有り難いというか。奥底の感情を見せられた気がして。

推しが激昂するとか叫ぶとかいうお芝居が好きなのは何でなんだろうな。非現実的だからかな。自分は私生活であんなに怒ったり感情を出したりしない(できない)から羨ましいのかな。この前別の舞台で壮年の男性の怒りのお芝居を観たときはめちゃ怖かったんだけど、たわモーツァルトの怒りはドキドキした。え?好みの問題?←

個人的な話だけど、わたしは学生時代は熱心に合唱をやっていて、モーツァルトにも触れたりしてたんだけど。劇中で流れていたアヴェ・ヴェルム・コルプスは親しんだ曲だったので、不意に流れてきてアッとなった。あと「魔笛」はソプラノ時代に遊びで練習したなあ、と懐かしくなった。人生でモーツァルトに触れる機会は案外あったのだなあと感じ、モーツァルトの偉業に想いを馳せるのであった(なお顔は多和田)。

あと本当に余談だけど、音楽家を題材にした「クラシカロイド」ってアニメがあってモーツァルトもいるんだけど、他の人たちに「モツくん」などモーツァルトに準じたあだ名で呼ばれてるのに、ベートーベンにだけ「ヴォルフ」って呼ばれてるのね。仲が良いのかなくらいにしか思ってなかったんだけど、たわモーツァルトの言うように、モーツァルトはファーストネームの「ヴォルフガング」で呼ばれたかったのかなと思うと何か萌えたよね←

最後の場面、モーツァルトが35歳だと言っていたことにゾッとした。モーツァルトが亡くなったのは1791年の12月5日、35歳。寒いと言っていたのであの場面は冬だろうし、このやり取りは死の直前だったんだなあと思うと、死ぬ前にサリエリとこんなやり取りをしていて、人生に絶望しながらも笑い合う時間もあったのかな、と思えた。「私に才能があれば」「僕にお金があれば」とお互いのことを羨み、ゆえに惹かれ合う。美しかったです。

サリエリとモーツァルトのコメディ要素(シリーズ)として「建物移動」というのがあった。ンギギ・・・と軋むドア、襖を開ける所作、ブォンと開く近未来的な自動ドア、階段を降りる、平均台のような異様に細い道・・・どんな建物に住んでんねん!というツッコミ待ちなのかと思う程入り組んだ屋内だった。あと連れ立ってお手洗いに行ったのか、洗面台で手を洗った後にヴーーーーンとハンドドライヤーで手をが乾かすギャグ。しかもモーツァルトはサリエリの使ったハンドドライヤーとは別のものを使って乾かす(トイレにいくつも設置されているから)という細かさ。

たわモーツァルトを観て思ったのは、天才の役が多いなあということ。マネさんもスタッフブログで言っていたけれど、手塚部長、太宰治など、孤高の天才の役が多い。でも今回のモーツァルトほど、自分の才能を認めてオープンに主張する役はなかったのでは。こんなに自信満々な多和田くんを観られたのは幸せだねえ・・・

こころ

「こころ」はコメディ要素ゼロ。まあ原作にコメディ介入の余地がないんだけど。そう思うと、先生とKは随分と気難しい人生を歩んでいたのだと感じる。その中に多和田くんの癒しのエッセンス・・・何だよあの人懐こい笑顔の学生は・・・

「こころ」はまさに会話劇。動きは少なく、主に台上で先生とKが話すことで進んでいく。この台は場面によってKの墓がある雑木林だったり、私の実家であったり、先生たちが住む部屋だったり、図書館だったり。全部、役者が台に立ったり座ったりしているだけだけど、役者のお芝居と原作を読んだときのイメージで脳内補完できた。先生とKは襖を隔ててそれぞれの部屋で話をしていたし、私は実家にて届いた手紙を渡されていた。

この機会に夏目漱石の「こころ」をちゃんと読もう!と思ったものの、観劇の3時間前にやっと読み終えた。ギリギリかよ!と思うけど、原作の記憶が新しいうちに舞台で観られるのはある意味で良いタイミングだった。多和田くんが演じるのは「私」。こころの後半は先生の手紙による独白だから、多和田くんがストーリーテラーなのかと思っていたけど、普通に語り手が語るよね〜!そっか~~!

「こころ」は座長である上口さんがK、辻本さんが先生、多和田くんが私。原作の印象では私が主人公だったのにKが一番上に名前がのっているんだよなあ~と思っていたけど、なるほどこれは主役はKだわ。あの自死の場面は見所中の見所でした。私の出番が少なかった・・・というか手紙を読むのは私だと思っていたのに、語り部が語るよね〜!ナレーションという意味ではなくて、手紙も語ってくれるのね〜〜!まあ、多和田くんの学生服姿が見られたからよしとするよね!

先生はKの心の闇を溶かすはずが、自分と同じ人を好きになってしまうという予想外のことが起きた。お嬢さんとKが仲良くなるのを阻止したい先生は、私欲のためにKに「精神的に向上のないものは馬鹿だ」と言い放つ。この言葉は以前にKが先生に言ったもの。先生が嫌っていた、私利私欲のために生きる悪人に先生自身もなってしまった瞬間だった。「こころ」は全体を通して緊張感・緊迫感があって良い意味でピリピリしていたんだけど、こういう物語の重要な台詞を発するときは余計に空気がピリついていた。

原作を読んでいるときは「Kはなぜ自死したのか」を考えていた。ここはきっと読者のさまざまな解釈がある部分だと思うし、先生も最初は「自分のせいだ」「失恋させたせいだ」と思い込んでいたが、他にも理由があるのではないかと考える節もあった(もっとも、先生にとっては他に理由があるかもしれないと思うことで精神を保つというのもあるかもしれないが)。舞台でもきっとこの場面を演じるだろうと思っていたので、上口さんのK、辻本さんの先生はどう解釈してどう解釈させたいのかというのが気になっていた。個人的には、お嬢さんを親友に取られた(裏切られた)という事実だけではなく、今までの辛い経験の積み重ねで厭世的な思考になっていたのが大きいとは思う。ただし失恋が自死を強く望むきっかけになったことはあるだろうと思う。

実際に舞台で観てみると、自死の理由よりも、自死に至るまでの精神の崩壊とその瞬間の場面を印象的に描かれていた。原作は先生目線なわけだから、当然Kの葛藤・精神のようすやその瞬間というのは分からない。しかしこの舞台は逆にKに焦点を当てているから、Kがどのように悩んだのか、どうしてその結末に至ったのかを描くことができる。Kにとっての「覚悟」は人生を終わらせることだったのだと思う。

先生とお嬢さんの結婚を、奥さんからKへ伝えるシーンの演出には息が詰まった。わたしは原作を読んでいたからKの台詞で分かったけど、相手の台詞がなくても、Kの反応で誰とどんな話をしているかを察知させる演出、好きだな〜。観客の想像が膨らむ感じが好き。

「もっと早く死ぬべきだのに、なぜ今まで生きていたのだろう」の大合唱は震えた。恐怖なのか興奮なのか分からないけれど震えた。このときわたしはオペラグラスで多和田くんを追っていたけれど、最初は表情もなくボソボソ言っていたのに次第に声が大きくなって、終いには目をむきだして叫んでいた。

Kの自死の場面、本当に壮絶だった。最初の3〜4回は聞こえないくらいの声〜ヒソヒソ声だったし顔も無表情だったけど、だんだん声が大きくなって、表情も変わって。最後は目を剥いて、大きな瞳は涙で光っていた。

Kと先生の緊迫感が凄かった。原作は少しずつ苦しくなる、じわじわと首を絞められるような緊迫感だったけれど、この舞台はいきなりギュッと絞められるもんだからウーッ!苦しい!!!となる。

「こころ」に関しては原作を読んで臨んだけれど、読んでおいて本当によかったと感じた。どこかの場面を切り取るというよりも少しの場面をつなぎ合わせているので時間がどんどん経過していくけれど、話を知っているので理解できた。原作すべてを舞台に詰め込むことは無理だから色々と端折るんだけど、事前に読んでいたからこそ理解できる(補完できる)部分もあった。

分かってはいたけれど、こころは後半の先生とKの話がメインだから、多和田くんの出番は少なかったね。でも手紙を受け取ってウキウキしながら開く→顔が青ざめる表情はオペラグラスでばっちり見れました。

こころは友達の話・・・だったのか?よく分からない。恋愛のしがらみのせいで親友を自死に追い込んでしまった話に落ち着いてしまった気がする。原作はもっと、先生自身もお金で揉めたせいで神経衰弱になってしまったこととか、先生は最終的にKと同じ道を辿ったとか、このお嬢さんは先生の妻で、でもKのことがあったから心の底から愛せない悩みとか、最初は神経衰弱になったKを救うためにお嬢さんと奥さんを紹介したはずなのに、Kとお嬢さんが仲良くなることへ嫉妬するようになるとか、そういう細かな部分を省いているから。もちろん1時間ほどの舞台で全部やれっていうのは無理なんだけどね!Kの死はガッツリ描いたけど先生の最期はサラッと触れただけだったのて(原作も結局どうなったのかは分からないけれど)、そういう点でもK中心の話だったなあと。原作はかなり丁寧に「先生と私の交流」「現在の私」「先生の過去」を書いていた上に目線は「私」か「先生」だから、どうしてもKのことは客観的にしか表現されなかったんだよね。それを舞台ではK中心に描いたのが面白い。原作を知っていても、話の運びこそ予想はできてもKの心境やその演出までは想像できないので、原作を知っていたら知っていたで新たな発見ができる内容だった。

余談だけど、兄の台詞は原作では両親(ほぼ母?)のものだよね。でも演出の関係で兄になったんだろうね。

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森の主と少年

少年が成長して老人になるまでを見守り続ける森の主の無償の愛と交流を描く。この話は最初、中間、最後にそれぞれ登場するつながったお話。前半こそコメディ要素は強かったけれど、中間で木が「自分の幹を切って売って元手を作ればいい」と申し出たあたりからおやおや?と不穏な・・・。自己犠牲とも言うべき無償の愛。少年は木にとって、自分の生命力を渡してもいいと思えるような大切な存在だったのだと感じた。

幹が倒れる瞬間の鎌苅くんのお芝居に緊張感があってドキドキしたし、涙が出た。最後の木の優しい表情も忘れられない。

ともだちとは何か?

役者たちから何度も投げかけられた問いに対するわたしなりの「ともだちとは何か?」。わたしは今は地元を離れて東京で暮らしていて地元の友達とは疎遠になってしまったけれど、大学時代の友達は卒業後もグループぐるみで仲良くしてもらっている。転勤や結婚で日本各地に散らばってしまったけれど、連絡を取り合ったり、誰かの結婚式で余興をやらせてもらったりしている。

変わり者のわたしと10年以上も関係を続けてくれるみんなには感謝しかない。そういう点では、破天荒で常軌を逸する部分があるようなモーツァルトにもサリエリという理解者がいて、その関係に通じるものがあるなあと思った。モーツァルトとサリエリも、出会ってからの10年(ウィーンに定住してサリエリに会ったときに25歳と言っていたような)、衝突したりいがみ合ったりしながらも最終的にはお互いのよき理解者になったという結末。わたしの大切な友達。死ぬまで友達でいてほしいと思った。

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DMM.comにて配信決定

3月15日(金)12:00〜3月22日(金)23:59の期間限定で、舞台映像がDMM.comにて配信されるそうです!

【撮影公演】
3月8日(金)14時開演の部
 
【販売期間】
3月15日(金)12:00〜3月22日(金)23:59まで
 
【販売形式】
HDDL&HDST、DL&ST
※いずれも視聴期間2日間
 
【販売価格】
2,500円(税込)
 
1週間限定だよ!
 
 

関連動画

YouTubeにてゲネやインタビュー動画が公開されています。

たわモーツァルトの「それはさ、僕がてんっさいだから」が好きなんだよおおお。言い方も決めポーズも。「でさ」「だからさ」みたいな語尾が好き。あと多和田くんの学生服姿が見られます!

こっちは引きで見られる。しょ、所作~~~~~!!なめらかで細やかな所作~~~~!!!好き~~~~~~~!!!!!111

わたしはWキャスト後半組の回を観たから知らなかったけど、サリエリ、コバカツさんにケツ触られてたんだなあ。笑

これは真面目(?)なインタビュー。一人ずつ意気込みを語る。

後半は談笑しつつ。内容そのものの話よりは、舞台稽古がどんなものかというのを教えてくれたので「へ~」とためになった!年長者のコバカツさんが回してくれています。初参加である多和田くんとやかわ氏の若手感がたまらん・・・!

たわだとやかわ氏の対談~~~~~~!!!!!記事も読ませてもらったけど、この2人の仲良し感が良すぎてだな?文字でも十分伝わってきたしほっこりしたんだけど、動画だとますます良き良きカーニバルすぎてだな?途中(たまねぎのくだり)から2人の素っぽい会話になっていて、普段こんな感じで会話してるのかな?って思えるような対談になってるところがお気に入り。

あのねえ、わたしは多和田くんの「破顔」が好きなんだけど、この動画では良い破顔が見られるよ!お口を開けて笑っていらっしゃいます。好きです←

多和田くんがダイエットを始めたと聞いて驚いた。ダイエットというかボディメイク?甘いものを食べても太らない身体だと聞いていたけど、気になることでもあったのだろうか・・・確かにシノビのときは顔がちょっとふわっとしていたような・・・失礼ですよ!ごめんなさいダイエットの話が聞きたい人は動画を観てみるといいよ!めっちゃ面白いしニコニコしちゃうので!これからわたしはつらいことがあったらこの動画を再生して元気を出そうと思いました!寝る前にも観ようかな!安眠できそう・・・

オペラグラスの話

今回の席はかなりの後ろの席だったのでこの機会にとオペラグラスを用意して挑んだけど、結論から言うと導入して良かった!表情が見えるのって最高。お金を出せば席のランクが選べるならお金を出したいけど、わたしが行く舞台はだいたいそういうシステムではなく席はいつも運なので、こういうお助けアイテムがあるととても良い。自分のチケ運を気にしなくなる。

個人的には、あまり動きのない場面では表情を観て、舞台上に数人いたり動きが大切な場面では肉眼で観た。表情って大切。オペラグラスを使うということは「細かいところ(表情など)」と「全体」のどちらを優先するかというのを考えなくてはいけなくなるけど、あったら絶対に良い。「あ、このシーンは顔を見たい」って場面は必ずあるから、それをものにできるというのは大きい。動きの少ない、表情や雰囲気で魅せるお芝居をしたいという俳優さんの細やかな部分を拾いたい。そう思ってオペラグラスを使っている。

なるべくゴチャゴチャ動かないように気を遣ったつもりだけど、隣の人のじゃまになってないか心配~~~。個人的には隣の人がオペラグラスを使っていても全く気にしないけどね。むしろ昨年の繭期夜会で2階席に座ってるときに隣の人がオペラグラスを使っていて「それで見えるの!?うらやましい!」と思ったのが購入検討のきっかけだから。

まとめ

「目玉をひん剥く」が今回のテーマなのかなって思うくらいに目玉をひん剥いたお芝居が好きだった。他人の感情がこんなにも激しく動くさまを見せてもらえるなんて、お芝居ってすごいなって改めて感じる。

多和田くんの舞台に初めて行ったけど、今回はオムニバス形式ということもあり、ひとつの舞台で2つの役を見られたし、モーツァルトは役の中でも激しい喜怒哀楽があった。軽口を言ったり飄々としているモーツァルト、自分の才能が正当な評価を受けられずに激昂するモーツァルト、晩年何もかも失った絶望の淵にいるモーツァルト、その中にも友情を見出し笑顔になれたモーツァルト。この2時間(の中の正味1時間?)で、ま〜じでさまざまな多和田くんを見られた。台詞回しも流暢で聞いていて心地良かった。わたし早口で声がでかくて畳み掛けてくるお芝居が大好きだから、今回多和田くんでそれが聞けて気持ちが良かった。【メモ】2回噛んだ。(好きです)

 

わたしが観に行った日も夜にツイートしてくれた多和田くん。というか舞台中に毎日何かしらの発信をしてくれるのがマメだし本当に好感しかない。いくみんの差し入れ、特定してしまいました← というかすぐ近くのイトシアにあるお店なんだよね、開場前にウロウロしてたときに見かけて、美味しそ〜って思ったから覚えてたの。ハニーポットバームクーヘン。わたしも買えばよかった・・・

いつも思うんだけど、舞台のアンケートっていつ書くの?詳しく書きたいのに書く時間ないよね?(そもそもみんなの帰宅ムーブの速さにビビる)これもしかして、マチネで用紙を受け取って、ソワレまでに記入しておく感じ?あるいは後日の観劇までに記入する感じ?

カレイベまであと2週間・・・わたしは何をすればいいんだ・・・痩せるしか・・・(年中言ってる)

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