私は武田航平さんのにわかオタクなのですが、彼の出演した舞台『TRUMP』(2015年)がとんでもなく刺さる作品だというダイレクトマーケティング(←)を浴び、非常に興味をもったのDVDを購入し、観劇しました。
や~~すごいズブズブにはまったし、思ったことを書き連ねないと輪廻から脱げ出せないので感想を書きます。
※話の内容が書いてありますので未視聴の方は視聴後にお読みください!
前提
まず前提として私の観劇前の状態です。
- 話の内容に関しては事前の知識ほぼなし(知っていたのはパケの裏に書いてある紹介文くらい)
- タケダオタなのでまずは2015年版のTRUMPを観たかった
- 舞台はたま〜にしか観ない。でも舞台のお芝居は好き
観たいと思ったきっかけが「私の知らないタケダを観たい」なので(いや知らないことばっかりなんだけど、現時点で未視聴の作品がたくさんあるからひとつずつ履修しようという意味で)、まずは2015年版から。
TRUTH
まず登場人物の立場もキャラクターも知らずに特攻したので(これは本当に無知のまま飛び込んでよかったと思ったし、繭期の諸先輩方のご配慮には感謝します)、アレンってそういう子?クラウスって先生なの?と思った。アレンの可愛い子っぷりがやばかった。タケダがこんな可愛い役をやっていたなんて思わなかったので。まさかのゆるふわ不思議ちゃんだったか……
昨今の彼のイメージはどうしても最新作の仮面ライダービルドの「ぶっきらぼうでヤンキーっぽい」カシラのイメージが強くなっていたし、他の役もHiGH&LOWの「ヤバイ子」、または好きになったきっかけの仮面ライダーキバの「女好きのチャラボーイ」だったりしたので。この時点で完全に性の癖に刺さる←
最初はギャグが多くて「結構笑いありなのね」なんて一歩引いたような状態で観ていたけど、1時間程経った頃にはすっかり観入っていた。みんなに愛着が湧きまくっていた。タケダ以外の役者さんもすっかり好きになっていた。もともと知っていた人もいれば存じ上げなかった人もいたが、もれなく全員好きになっていた。だからこそ、以降に起きるであろう絶望がいつ訪れるのか恐怖さえ感じた。
話の途中で思ってたんだよね、ソフィ・ウルとアレン・クラウスの話って全然別物じゃんって。関わりないのかよって。本来ならそこで「時間軸が異なる」って気付けたし、勘が鋭い人は気付けるんだと思う。でも私は、目の前の映像を観て理解することで頭がいっぱいになっていて、違和感は少しずつあったけど、その違和感について考えてしまうと現在の内容についていけなくなってわからなくなるから、後で考えようと思って一時的に放っておく状態だった。舞台特有のスピード感によるトリックというか、後で考えると「そういうことなのか」という小さな違和感や整合性の無さをスルーしてしまう。
ティーチャーミケランジェロがアレンという名の猫を抱き上げたとき、その「溜まった違和感」が、頭の中でパズルとしてパパパッとはまっていくのを感じた。言語化・理論化するよりも先に、直感的に「あ、そうだったんだ」と理解して、アハ体験みたいでめっちゃ気持ちよかったし、同時にゾクゾクした。
この仕掛けすげーと思ったし、この仕掛けのトリガーが「登場人物と同じ名前の猫の存在が明らかになる」っていう、誰も真実についてまだ話してないのに、一見話には直接関係がなさそうな「猫の名前」によって明かされるのが面白い。まあ実際はこの手法はたまに見かけるけど、自分がド真ん中でモロに被弾するとやっぱり破壊力も衝撃も大きい。こういうネタバラシ方法っていうのかな?説明や語りよりも先に何らかのトリガーによって観客に一気に気付かせる手法、大好き。説明されるより前に自分で気付かせてもらえるやつ。
あとはやっぱり、舞台ならではの「セットは同じだけど場面が変わる」演出がいいなと。書庫のシーンとか好き。ウルが小道具の本を読んでいたり、突っ込んできたクラウスが倒した本を直したりという芝居(パントマイム?)によって、ここには本がたくさんある書庫なんだなと観客に脳内補完させる。自分の脳内で補完してるから、リアルな書庫が目の前に広がることになる。自分の記憶の中にある本物の「書庫」が情景として浮かぶから。こういうのが舞台のいいところ。
ここは書庫なんですよ〜としっかりはっきり説明されたりセットがあったりするよりも、観客自身に補完を委ねることによって、それぞれの「本物の書庫」が出来上がるんだよねえ。
武田アレンの命が消える瞬間のお芝居がすごかった。撃たれて、崩れ落ちるさまが、なんかほんと凄かった(語彙力)。美しかったよ~~~~
REVERSE制度を知っている(しかも手元にある)私は舞台を観ながら、話の理解に努めながらも「この役をタケダが……?」「真宙くんもこんなお芝居するの……?」「タケダがこの重要シーンを……?」「早くクラウスのタケダが観たい」とか思ってた。集中しろよって感じだけど「これって片方を観た人がもう片方に想いを馳せるっていう、初見のときしか湧かない感情なのでは?」と気付いてからは、この感覚を楽しむようにしていた。こんなシーンもタケダがやるのかよ……オイオイRも早く観たいぜ……ってなってた。
REVERSE
Rって、ソフィ・ウルとアレン・クラウスだけが入れ替わると思ってたの。だから、他のペアも入れ替わるんだ!って気付いたときめっちゃ興奮した←
しかも気付いたのが、始まってわりとすぐにラファエロが少し出てくるシーンで。ラファエロ?眼鏡なの??なにその知的な雰囲気???って。しかも敬語。知性があって武道もできる。まさに文武両道の高貴なご子息。好きすぎた。Tラファエロがゴリゴリの武闘派なのもすごい好きなんだけどね。武闘派の兄と武闘派の弟。つよい。
クランの案内してるときのクラウス、何でこんなに楽しそうなんだよ……。いきいきしすぎかよおお。全編通して一番元気だったよね。ここのクラウスはほんとに普通の人だったから、後であんなに取り乱しちゃうのかよ……って思った。
ま~~とにかくアンジェリコが好き。アンジェリコというキャラクターも好きだし、舞台俳優さんも好き。「声がデカくてよく響いて早口だけどハキハキしていて歯切れ良い」お芝居をする人が大好き。このアンジェリコのセリフ回しが本当に好き。聴いていて気持ちよかった。
ストーリー的には2回目になるから、初見では気付かなかったことにハッとしたりした。いなくなったアレンに対して「首に縄でも付けておいたらいいだろう」とか。最初はティーチャーグスタフなんてこと言うのよ……って思ったけど、そらそうよ、本当は猫なんだもんね。
あと、ウルの「ソフィがクズだったら、僕は何なのですか」というセリフ。1回目は「?」となってる間にダリちゃんにごまかされてうやむやになってたけど……本当の意味が分かってうわあああああ!しかもその問に対してダリちゃんは「それは置いといて」とスルーしていてうわああああああああ!ダリちゃん!!!!!!!
ウルがダンピールだというのを知ってから周回すると、いろいろしんどいものがある。ダンピールであることを恥じることもなく堂々と振る舞うソフィ。ダンピールであることを隠し自分を偽り続けるウル。ウルは、ソフィに憧れていたんだな。ソフィは「ダンピールを否定することは自分自身を否定することになる」と言っていた。ウルはまさに本当の自分を隠し、自分を否定していたんだな、と。つらいね~~~
実質2回目の視聴で、Rを観る頃には既に登場人物みんなに愛着が湧きまくってるからほんと~に話に入り込めた。
T・R総合
とにかくアレンとクラウスが尊い。TもRも良い。尊い。武田アレン可愛すぎた。陳内クラウスはふわふわしてて、武田クラウスはハキハキして知的だった。TとRで登場人物は同じでも外見や性格そのものまでは一致しない、それぞれのキャラがいるっていうのが良いね。タケダのクラウスはそういう感じなんだね、みたいな……
武田クラウスは知的でわりと普通の人っぽかったのに、どんどん狂気に蝕まれていくさまがすごかった。でも先に陳内クラウスを観ていたせいか、恐いとは思わなかったな。それよりタケダの迫真のお芝居に見入ってたよ。陳内クラウスは最初からちょっとアブナイ雰囲気がして、だんだん闇の部分が隠せずに出てきちゃった感じ。
Tアレンは儚げで、Rアレンは上品。TウルはワイルドでRウルは可愛げがあっておちゃめ。私は最初にTを観たからワイルドなウルがしっくりきちゃったなぁ。
アンジェリコとラファエロの関係もよかったなぁって。実際はラファエロがアンジェリコのことをどう思っていたのかはよく分からなかったけど、アンジェリコがラファエロをどう思っているのかは分かった。きっと、憎しみ、嫉妬、羨望、さまざまな相反した感情をもっていたんだと思う。憎いけど憧れる。嫌いだけど同志となりたい。憎しみの感情の方が表に出ていたけど、最後の「一緒に血盟議会を作り上げなきゃいけなかったのに……」というのが一番の本心なのだと思う。同じ志に向かう仲間になりたかったのかなと。
ラファエロが燃えて灰になったときにアンジェリコが「俺が○したかったのに」と叫んだのは、自分がラファエロのことを独占したかった、支配したかったのに、というように感じた。あいつを◯すのは俺でなくてはいけない。俺以外に奪われることは有り得ない……こういう関係が大好きなんだよ……!憎いのに憧れもあって、傷つけたいけど自分以外の奴に傷つけられるのは嫌なんだよな。こういうの……好きなの……
TRUMPに関してはほぼTwitterで情報を頂いて、繭期の諸先輩方の考察を聞いていたりしたんだけど「おまえはおれか?」っていうのが多くて。それはその方と私の感性が似ているのかもしれないし、不特定多数の視聴者に同じような感情を抱かせる脚本やお芝居のすごさかもしれないし。とにかくおまおれ状態だった。
本当に首がもげるほど同意だったのが「TRUMPの良い所は、推しの俳優さんの演技を堪能できる所」(抜粋させていただきました)という話。そうなんだよ!!!ドラマとは違う、舞台でのお芝居がいいの。ドラマでも感情的になるシーンはあるけどさ、大袈裟にはやらないじゃない。いうてもテレビ通してるし。そうじゃなくて舞台映えする、感情が爆発しているお芝居。喜び、怒り、悲しみがダイレクトに観客に届く、心が揺さぶられるお芝居。私はこういうタケダが見たかったんだよ・・・。
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なんとも絶望するのが「みんな欲しいものを手に入れられない」ということ。特にソフィとウルは、生を望んだウルは死に、生を望まないソフィが不死になる。クラウスは「星に手が届いた」と言ったけど、結局はクラウスが本当に欲しかったのはアレンであってソフィでない。
どうしてこんな絶望しかない結末になってしまったのだろう、どこで間違ってしまったのだろう、みんなが生存してクランで繭期を終え立派なヴァンプになるにはどうしたらよかったのだろうと考えるが、なかなか思いつかない。(アレンの死は物語上必要になってしまうので、アレンには申し訳ないけど必然だったということで)
ラファエロがソフィを排除しようとしなければ、クランは燃えなかったかもしれない。ウルがダンピールでなければ、ウルはソフィと仲良くすることもなかったしラファエロはソフィを憎むこともなかっただろう。アンジェリコとラファエロの確執は……アンジェリコの性格(繭期?)がよくならないと回避できないだろう。そもそもソフィがクランに来なければ、TRUMPの心が乱れることもなかった。
このような問題が複雑に絡み合いすぎて、全ての事柄の「悪い方に転がってしまった要因」を排除するのは無理なのだと理解したとき、もうこの絶望はなるべくしてなったものであり、これもまた必然なのかと思う。その証拠というわけではないが、TとRは交互に繰り返しているのに結末は必ず絶望になる。絶望の繰り返しから抜け出すことができない。
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なんでクラウスはアレンに固執していたのかなぁ。クラウスは不死の人生の中でたくさんの人に会い、別れ、場合によっては自ら同胞を排除してきたのに、アレンの何にそんなに惹かれていたのか。
別に腐女子脳を発動させてしまうわけでもないしなんでもかんでもHOMOにするたちではないが、やっぱりクラウスはアレンのことが好きだったのかなと思う。愛していたから、人間の女の元へ行くのを嫌がったし(まあ普通に考えて自分の生徒が狩られるかもとか争いの原因を作るかもしれないとか思ったら全力で止めるけど)、一緒に一生を共にしたいと願ったのかな、と。
(この辺に関しては賛否両論があると思うし、私も愛なのか友情なのか分からない。でも友情の一言で表せられる感情だったのかな、と悩む)
ただ、私は「これはBLだね!」と言いたいのではなく、性を超えた愛だったのかなと思う。異性とか同性とかは関係なく、人と人(吸血腫だけど)として惹かれたのかなと思う。でも作中でクラウスが「友達になりたかった」って言ってるんだからそのままの意味だろうが!って思うんだけど、なんていうか、ただの友達だと腑に落ちないというか……
だってアレンって超不思議ちゃんじゃん。一方クラウスは先生。特に武田クラウスは知性を感じるし結構お説教もあったり。こんな振り回される不思議な子と狂ってまで友達になりたいと思うかねと。私だったら、いくら顔面がタケダでもお友達になれるか難しいし、この不思議ちゃんと未来永劫ずっと一緒にいることに耐えられると思うかい?ぼかぁ無理だと思うねえ。って私の中の大泉洋が言ってる。
なんとなくだけど、クラウスは自分が持っていない(長く生きすぎて失くしてしまった)「無邪気さ」をもつアレンに惹かれたのかなぁとか思ったり。愛だと断言できないけど、友情以上の感情を抱いていたんじゃないかなぁ。
Rで入れ替わるのはソフィ・ウルとアレン・クラウスだけだと思ってた、というのを言ったけど。それは無意識のうちに、輪廻を繰り返すのはこの2ペアだけだと思っていたから。でも他の子たちも、何か因果のある組み合わせで、憎み憎まれる関係だったり、時間軸は違えどヴァンプに人生を左右されてしまった人間であったりするんだね。
『TRUMP』は、誰一人願いが叶わない、星に手が届かない、でも手を伸ばして届きたいと願い、あがく物語なのかなと思った。その過程で狂気にのまれてしまったり、大切な人を失くしたり。で、あがいたのに叶わないどころか最悪の事態にすらなって、絶望する話なんだな、と解釈しました。
(余談)しょうまの話
ラファエロ/アンジェリコ役の山本匠馬さん。この方のお芝居を観て、めっちゃ好きになったの。顔も好きだし(←)とにかくこの舞台映えするお芝居が好き。で、当然検索するよね。他にどんなお仕事してるんだろうって。
そしたらこの方、知ってたんだよね!!!「なりきり!むーにゃん生きもの学園」という番組に出てるの。で、こっちの「しょうま」も観ていてイケメンだなって思って好きだったの!!!!!
待って!!!!!うそでしょ???????これ??アンジェリコとラファエロの???山本匠馬さんて????しょうまじゃん????これしょうま??????うそ???あのしょうま?????むーにゃんのしょうま????うそでしょ????しょうまじゃん??毎週観てたじゃんしょうま????えっ
— YURI🐸🌀 (@YURI_SHT) April 26, 2018
↑気付いたときの私。そりゃ好きでしょうよ。だってしょうまだもん。既に好きなしょうまだもん。印象が全然違いすぎて気付かなかった。でもすごくないですか?例えるなら、前世で好きだった人を、現世でも好きになるみたいな(違うか)。
こんなところで舞台俳優としてのしょうまに出会うとは思わなくて、衝撃で、でもやっぱり好きになるのね、みたいな驚いた話でした。
総括
TRUMPに出会えて本当に良かったです!薦めてくれた繭期の諸先輩方、本当にありがとうございました。今度もよろしくお願いします!!!!(ズブズブと沼に沈みながら)